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伝統工芸 九谷焼専門店



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九谷焼専門店 和座(わざ)は2024年3月9日でネットショップ開業から丸24年を迎えることができました。これも全てこの24年間、和座をご利用頂いておりますお客様皆様のおかげでございます。本当にありがとうございます。24年前(2000年)楽天市場で初めてネットショップを始めた日、周りからは「インターネットで九谷焼なんか売れないでしょ」と言われる中、開店当日に東京のお客様より始めてのご注文を頂き「きっとやれる」と根拠の無い自信を頂戴しこの24年運営し続けてくることができました。決して時代の流行のに乗れるような商材でありませんが少なくとも380年以上継承されてきた伝統工芸九谷焼を次の世代に繋げていくことはできるだろうと考えております。もう24年、まだ24年、いずれにしても九谷焼をお求め頂き、ご自宅用、ご贈答用としても手にした皆様が笑顔になれることを一番に願いながらこれからも細く長く運営を続けることができるよう精進して参りますので、今後とも温かく見守って頂けますことお願い申し上げます。












九谷焼の一般的なイメージは「派手な焼物」と言われる事が多い。まさにその通りだと思います。三百五十年以上も前に、この石川県の地で焼物が作られたが鉄分を多く含む陶石を使っていたことからその性質上、真白な色の焼物にならず見栄えを良くする為に絵が描かれた事が九谷焼のルーツだと伝えられています。九谷焼は彩色することにより焼物に価値を見出したのです。以降、加賀百万石、前田家の豪放華麗な文化の中で、その加飾技術は磨き上げられ今日の絢爛豪華な作品の数々が生み出されました。そして明治期に輸出用の作品として贅沢に金を用い描かれた作品が現代の九谷焼の「派手」なイメージの基になっていることは間違いありません。もちろん九谷焼の中にも染付(藍と白)で描かれたシンプルな作品も多々あります。しかし最近になり感じるのは九谷焼の派手過ぎるくらいの彩色が持つデザインの強さ、近年、無駄はできるだけ省きシンプルを求めるデザインが多い中で、この九谷焼の無駄とも思えるくらいの加飾(かしょく)あえて過色(かしょく)とも言い替えることができる過度なまでのデザインには華やかな日本の文化を垣間見る事ができると思えるようになりました。JAPAN KUTANI、明治期、世界が賞賛したのは原色鮮やかで煌びやかな九谷、その華やかな色絵の文化こそ九谷焼が持つ最大の魅力だと思います。



山深き、大聖寺川上流の旧九谷村。訪れる人も疎らな奥山に「古九谷窯址」碑が静かに佇んでいます。1655年(明暦元年)頃、大聖寺藩(加賀藩の分家)は、この地の陶石をもとに開窯。創出された磁器は、後に「古九谷(こくたに)」と呼ばれ、日本色絵磁器の礎となりました。青(緑)、黄、赤、紫、紺青。濃厚な色彩が自由闊達に躍る上絵(うわえ)は、九谷焼の"美の源流"です。しかし、わずか半世紀で謎に包まれた廃窯。この古九谷の謎の消滅が現代においても解明されていない大きな謎となっており、九谷焼の神秘性を高める一説となっております。その約100年後(空白の100年)、加賀藩の奨励により、九谷焼は再び覚醒します。春日山(かすがやま)窯、若杉(わかすぎ)窯が開窯、「再興九谷」の気運に乗じた吉田屋(よしだや)窯らが次々に色絵磁器を生産するなど、さまざまな感性が競い合い融合し、今日に受け継がれる百花繚乱の上絵技術が誕生しました。近代においては、華やかな彩色金襴手(さいしょくきんらんで)の作風が「ジャパンクタニ」の名で欧米に深く浸透しています。謎多き「古九谷」に始まった芸術性の高い陶磁器は「再興九谷」で実用性を備え、用の美を具有する九谷焼はいつの時代においても、その時代に合った美へと進化し続ける稀有な伝統工芸であると言えます。



1655年 明暦 元年 大聖寺藩初代藩主 前田利治の命により九谷村で開窯。
1656年 明暦 2年 古九谷窯で色絵磁器が焼かれる。
1807年 文化 4年 青木木米(あおきもくべい)の指導のもと、金沢卯辰山に「春日山窯」を開窯。
1811年 文化 8年 本多貞吉、花坂村(現石川県小松市)に陶石を発見し「若杉窯」を始める。
1819年 文政 2年 藪六右衛門、「小野窯」を始める。
1824年 文政 7年 吉田屋伝右衛門、旧九谷村に「吉田屋窯」を築窯し1年余りで窯を山代の越中谷に移す。
1831年 天保 2年 吉田屋窯支配人 宮本屋宇右衛門が吉田屋窯を引き継ぎ、飯田屋八郎右衛門を招き「宮本窯」を開く。
1841年 天保 12年 九谷庄三、旧寺井村(現石川県能美市)に「寺井窯」を開窯。
1848年 嘉永 元年 大聖寺藩、藩営で「松山窯」を開く。
1860年 万延 元年 大聖寺藩、宮本窯を買い入れ「九谷本窯」とする。
1865年 慶應 元年 大聖寺藩、九谷本窯に京都より永楽和全を招く。
1873年 明治 6年 ウィーン万博に出品。
1876年 明治 9年 フィラデルフィア万博に出品。
1878年 明治 11年 パリ万博に出品。 1908年 明治 41年 九谷茶碗まつり始まる。
1975年 昭和 50年 九谷焼が通商産業省(現経済産業省)より伝統工芸品に認定される。
1997年 平成 9年 「国際色絵陶磁器フェア'97九谷」を開催。
2004年 平成 16年 九谷焼無鉛上絵具の完成。
2004年 平成 16年 第1回景徳鎮国際陶磁博覧会に出品。 2005年 平成 17年 パリメゾン&オブジェに出品。




The origin of the five spectacular Kutani colors

At the upper reaches of the Daishouji River,deep in the mountains,
there was once a village called Kutani.
A stone monument bearing the inscription "Ko-Kutani kiln ruins" stands quietly in a clearing.
It marks the spot where the Daishoji Clan(a branch of the Kaga Clan)
established a kiln in about 1655,to make use of the local porcelain stone.
The porcelain ware that was created there was later called "Ko-Kutani,"
and became the foundation for Japanese colored porcelain ware.
Rich overglaze colors applied with fluid brushwork

- green,yellow,red,purple and blue -

give Kutani porcelain its characteristic beauty.
However,only half a century later the kiln was abandoned for reasons thatnobody knows.
About 100 years later,
Kutani porcelain was revived under the patronage of the Kaga clan.
The Kasugayama and Wakasugi kilns were established,
and kilns such as the Yoshidaya kiln rode on the momentum of"revived Kutani",
all producing overglaze porcelain ware.
Various styles competed and combined to develop into the overglaze techniques
that have been handed down to this day.
In modern times,
the gorgeous Kinrande style has become well known in the West as "Japan Kutani."
Kutani porcelain,which combines the artistry of Ko-Kutani ware and the utilitarian beauty that developed from
"revived Kutani",continues to evolve.






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