|  |
|  |
国内消費量わずか1%程度しかない小樽前浜産の数の子。木箱入りなのでギフトにもぴったり。上品な味わいをどうぞ。
|
小樽前浜産塩数の子(300g) - ご贈答用木箱入り 北海道 お正月 おせち かずのこ 飯坂冨士 ギフト 贈答 買い回り お買い物マラソン
|
小樽前浜産の獲れたてニシンを無添加・無漂白・塩水のみで血抜き、塩じめした貴重な国産塩数の子です。商品には多少黒く変色した部分が出ることがありますが、無添加・無漂白の安心安全の証拠で品質には、問題がありません。また、まだ卵が生きている状態で腹だしし血抜きと塩抜きを繰り返すことから、よく見ると一つ一つの粒の大きさが若干まちまちになっていることも伝統的な製法で作られた証です。
# 1羽10~15cm程度、8~10本羽入り #原材料産地:北海道小樽 #製造地:北海道小樽 #賞味期限:冷凍90日冷蔵3日 #温度帯・同梱包:冷凍・同梱可 #冷蔵庫で12時間ほどかけて自然解凍 #5日後から配送指定可能 #注文が殺到した場合、遅れる場合があります
|
|
 |
歴史により培われた調達供給ネットワーク
飯坂冨士商店は、昭和25年、北海道小樽市にて海産物問屋として創業しました。わたしたちは、鮮魚はもちろん加工原料、水産加工食品に至るまで北海道をはじめ世界各地から安定して美味しい海産物を探索できる知識、見極める経験、集める実績を積み重ね、市場や水産業の皆様との信頼関係を構築してまいりました。良いものを安定して調達供給できるネットワークは一朝一夕には実現できません |
時代とともに変化し
商品の企画から製造までの一貫体制を構築
近年では、商品の企画から製造までを一貫して自社で行える体制を実現しています。美味しい海産物を造れる技術と美味しい海産物の体験をお客様個々人へ届けられる信頼の体制へと時代とともに変化し続けております。 |
 |
 |
厳しく買う。贅沢につかう。
わたしたちは、長年の経験をもとに目利きし、必ず試食し、納得できないものは買わない。良いものはおもいきって買う、そして贅沢に使う。ということを実践し続けてきました。飯坂冨士商店の自家製商品のなかでもわたしたちの自信作である「本数の子松前漬け」の数の子は、お正月やお祝いごとに食べるような15cmから20cmもある「本チャン」と呼ばれる大ぶりの数の子がふんだんにつかわれています。 |
時代にあわせ進化させる。
北海道の母の味ともいわれるいくら醤油漬けなどその他の歴史ある自家製商品も独自のレシピを継承しながらも、時代にあわせてその美味しさを進化させ続けています。 |
 |
 |
お客様の声を聞く。
飯坂冨士商店は、全国各地で開催される北海道物産展に積極的に出店しています。わたしたちが本当に美味しいと思えるものを直接お客様に届けすることで生の声を聞いています。皆様と全国の物産展会場でお会いできることを楽しみにしております。 |
飯坂冨士商店の歴史 |
昭和25年 干物の卸会社として創業
飯坂冨士商店は、昭和25年、飯坂冨士(故人)によって北海道小樽の地で創業されました。元々、飯坂冨士の祖父は青森県からの移住者でニシンの網元で働いて生計を立てていました。その時の親方の屋号が今の「ダイト」屋号で、今でもその屋号が受け継がれています。この時代は冷凍冷蔵の技術が未発達の時代。海産物の多くは干物として流通していました。飯坂冨士商店はその干物を本州の卸売業者に卸すという業態で創業します。当時、戦前から事業を行う会社が幅を利かせる中において、まさに「チャレンジャー」としての創業でした。この時代に北海道内での仕入れはもちろん、全国の卸の方々とのつながりができ始めていきます。 |
 |
小売・加工の会社との取引も拡大
時代は高度経済成長の入り口。創業当時の干物の卸という業態だけではなく事業拡大を目指した飯坂冨士商店は「加工業への素材の販売」という商売に打って出ます。祖業の卸の取引だけにとらわれずに新たな業態に挑戦していきました。これを機に加工会社との取引も拡大し、これがきっかけで後の自社工場での自社加工へとつながっていきます。
その後、加工業者も淘汰の時代を迎えます。機械化が進み、生産性の低い加工会社が淘汰されると、それに伴い、仕入元も淘汰されていきます。ここで飯坂冨士商店は「加工された商品の小売店への流通」という商売を始めることになります。これらの新規業態への挑戦によって、加工会社とのネットワークと小売店とのネットワークを手に入れることができたのです。 |
 |
自社加工と販売への挑戦
当時飯坂冨士商店が商品を提供していた加工会社の倒産がきっかけで、仕方なく自社加工する必要性が生じたことが、飯坂冨士商店の自社加工のきっかけになります。これを契機に道内の大口のお客様の加工をご依頼いただけるようになったり、お付き合いのある加工会社の対応できない加工を自社で引き受けることで自社加工が拡大していきました。同時に、元々は加工した商品を販売していた百貨店から催事への出店依頼がはいるようになり、北海道物産展のような催事へ積極的に出店するようになりました。今までは企業間取引だけであった会社が、直接お客様とのつながりを持つようになったのです。 |
|
|
|  |